弘前市内、古くからはきものを扱うその店先には、津軽塗の下駄の台が、色も塗りもさまざまに揃っていた。合わせる鼻緒もまた、棚いっぱいに並んでいる。
朗らかで明るい声、少し鼻にかかる柔らかな津軽弁が耳にやさしい。あらまあ、うちのネコと同じ名前の子がいるのですか?などと話をしながら、津軽塗の下駄の台に、年配の女店主がしっかりと鼻緒をすげていく。軽々とした動作だが、とても力が要るはずだ。小柄で華奢なこのひとの、どこにこんな力があるのだろう。亡くなったご主人の後継者として、全国の催事にはもう出展できないそうだが、今も全国からお客さまが訪れるのだという。
あつらえてもらった下駄は黒地に赤、津軽塗の七々子(ななこ)塗という技法の台に、黒地に白い刺繡の入った鼻緒。目の前のこのひとのような、どこか可憐な姿に仕上がった。店先で感じた、ひんやりした下駄の感触は今も残っている。
あれから二年が過ぎたこの夏、nonoからリリースされた3種類の桐下駄も、軽やかで爽やかな夏のはきものだ。

すがすがしい白木そのままの生成、シックな焦茶、つややかな黒の塗。合わせるきものや場面に応じて履き分けられるように、かかとに高低差がつけてある。それぞれ異なる表情をしていても、どれもnonoらしい、シンプルできりっと背筋の伸びる空気をまとっている。
素足に直接あたる鼻緒には、ふくよかで肌あたりの良い厚みを持たせてある。この鼻緒、台の色や雰囲気に合わせて、可憐で清楚なものからクールでシャープなものまでどれも本場大島紬だ。前ツボとともに、ひとつひとつよく考えて取り合わせてある。ほんのわずかな面積なのに、手のかかった本場大島紬の生地は、シンプルで美しい台の上で、品の良いたたずまいが目を惹く。小さいからこそ、違いが際立つのかもしれない。
足を入れてみると、その軽さに驚く。頭では桐下駄の軽さを知っているはずなのに、実際に履いたときの軽やかさと滑らかな感触は格別だ。
この桐下駄のすんなりした姿を見ていると、かつて幸田文の短編に描かれた女の足の美しさを思い出す。下駄が日常のはきものだったころ、女性たちは顔と同じくらい、素足の美しさに気を使ったものだという。
夏の街を軽やかに駆けていく、下駄の音が聞こえてくる。も言う。涼しげで軽やかな夏の黒。背筋を伸ばして、「コンチキチン」のお囃子の響く街を歩く。

奈良女子大学文学部を卒業後、美術印刷会社の営業職、京都精華大学 文字文明研究所および京都国際マンガミュージアム勤務を経て、2015年に独立。岩澤企画編集事務所を設立する。
ライター業の傍ら、メディアにおける「悉皆屋さん」として様々な分野で活躍中。
30歳のときに古着屋で出会った一枚のスカートをきっかけにモード系ファッションの虜となり、40代から着物を日常に取り入れるようになる。現在、病院受診と整体治療のある日以外はほぼ毎日、きもので出勤している。
岩澤さんのnoteはこちらより
https://note.com/mimihige